院長 上尾 裕昭
抗エストロゲン療法の不思議

先月号では乳がん治療に女性ホルモンをブロックする薬剤(抗エストロゲン剤)を使用することを述べましたので、今回はその具体的な事例と不思議な作用について紹介します。

 《 乳癌の肺転移が消えた 》

9年前の大分県立病院の外来。Aさんの胸部写真は肺転移巣が多発していることを示していました。乳がんの再発です。その3年前の手術の時点で既に肺に血行性転移をしていた乳がん細胞が年月を経てレントゲン写真に映るようになったのです。この日からトレミフェンという抗エストロゲン剤による治療が始まりました。Aさんの乳がん細胞にはエストロゲン受容体があってエストロゲンで増殖が促進されるので、エストロゲンの作用をブロックする薬剤で乳がん細胞の増殖を阻止しよという戦略です。嬉しいことにAさんの肺転移巣は縮小し始め、2年後には全く消失。9年後の今、Aさんは開業した私の外来に元気に通院しています。
Aさんの御主人は裏山で蜜柑の栽培をしておられます。3年前の秋、Aさん御夫妻のお招きで、私は母(当時72才)と次女(当時5才)と一緒に蜜柑狩りを楽しませていただきました。抗エストロゲン療法の効果のお陰で、私達の蜜柑狩りの楽しみは今後も続きます。

 《 乳がん予防効果 》

代表的な抗エストロゲン剤のタモキシフェン(TAM)の乳がん再発予防効果は、1996年に英国のオックスフォード大学で集計されLancetという英文雑誌に掲載されて世界中に発信されました。この研究結果の中には私が昨年まで在籍した大分県立病院の患者さんのデータも含まれていて、論文には大分県立病院の名前が英語で記載されています。
同時に、TAMには対側の乳がんの発生率を低下させることも示されています。米国で乳がんリスクの高い女性1万4千人を“TAMを服用する人、しない人”の2つのグループに分けて、5年間の予定で予防効果の検証が開始されました。その結果、4年目にはTAMの乳がん予防効果が明らかとなり、その後の研究は中断して全員にTAMの服用が行われるようになったほどです。

 《 抗エストロゲン剤の不思議な作用 》

これらの抗エストロゲン剤には選択的調節作用という不思議な作用があることが知られています。すなわち、乳腺では女性ホルモンの作用をブロックして乳がん抑制効果を示す一方で、骨や肝臓では女性ホルモンに似た作用を発揮して骨粗鬆症や高コレステロール血症を予防するという不思議な作用を示します。

以上のようなの知見を踏まえて、私達、乳腺外科医は患者さんの年令や体質などを考慮しながら抗エストロゲン剤を使い分けているのです。